水戸宰相 |
|
徳川光圀像(一部) 立原杏所筆 |
※写真の無断転用を禁止します |
寛文元年(1661)34歳の時、父頼房の跡を継いで第2代水戸藩主となりました。そして当時高松藩主となっていた兄松平頼重の子を世子に立て、年来の宿願を果しました。「定府」として江戸常駐を義務づけられていた光圀ですが、30年間の藩主在任中11回にわたって就藩帰国して水戸城に滞在し、領国経営に力を注ぐとともに、領民との接触に努めました。藩政の遂行に関しては「我が為に非ざるなり、以て人を利するなり、今日の為に非らず、以て将来を冀ふなり」という言葉を常に口にしていたと伝えられています。
※より徳川光圀について知りたい方へ
徳川光圀
東藩世子
伯夷伝体験
水戸宰相
将軍の藩屏
彰往考来
西山
|