(1)源頼朝の佐竹征伐

 承4(1180)年8月,源頼朝が伊豆で平氏打倒の旗をあげた。石橋山の戦いで敗れはしたものの,息を吹き返し鎌倉に本拠地を置くに至った。その際,関東の多くの武士達が頼朝に忠誠を誓い鎌倉に馳せ参じたが,佐竹氏は同族でありながら,平氏の恩恵を受けていたこともあり応じなかった。そのため,富士川の戦い後,征伐を受けることになった。この時の当主は隆義であったが,大番役で京都にいたので,子の秀義が対抗することになった。秀義は金砂山に籠城して戦ったが,叔父である義季の内通により敗れ,北の花園城(北茨城市)に逃れた。これまでの奥七郡の領地も没収された。その後は,頼朝の奥州合戦に加わり罪を許され,月印五本骨軍扇を授かった。こうして,佐竹氏は代々御家人として鎌倉・室町幕府に仕えていくこととなった。

 

 

 

 

 

 


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