県域の変遷と拡大
茨城県庁舎(明治15年)   
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 明治4年(1871)廃藩置県の直前,現在の茨城県域内には,水戸,土浦,笠間,古河など15の藩庁が存在しました。そしてこれらの藩領の間には佐倉,関宿,前橋など現・茨城県域以外に藩庁をもつ各藩の領地が混在していました。さらに明治元年以前にはこれらの藩領以外に,石高では県全体の約40%を占める幕府の直轄地(天領)・旗本領がありましたが,これは明治新政府の領地として没収され,のち若森県,宮谷県,葛飾県の管轄地となりました。廃藩置県直後の明治4年11月,大規模な県の統廃合が行われ,現・茨城県域には茨城県,新治県,印旛県が成立,そして明治8年(1875)5月,これらの県の全部又は一部が合併して,ほぼ現在の県域をもつ新しい茨城県が誕生しました。 県庁は旧茨城県庁があった水戸に置かれ,県内二ヶ所に支庁が設置されました。第一支庁は土浦市の旧新治県庁,第二支庁は真壁郡当郷村(下妻市)の円福寺をそれぞれ庁舎としました。当時の茨城県の人口は約85万人(2000年現在約298万人),その後,利根川流域の諸村で千葉県との間に境界変更があり,明治32年に現在の県域が固まりました。

 

 

 

 

 

 


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