日向廃寺

平将門の乱の平定に活躍した平繁盛の子と伝えられる維幹は筑波郡に土着して常陸平氏の祖となります。その本拠は多気(つくば市北条)にあり,常陸大掾に任ぜられ,その富強は常陸の国守を驚かせたと伝えています。日向廃寺の創建はこの常陸平氏と推定されています。小泉館も大掾家の居館の一つであったと思われますが,初代の常陸守護八田知家は小田に入部し,計略をもって大掾家本家の多気義幹を失脚させ,筑波郡等を小田氏の所領としました。平安時代後半には浄土信仰が広まり,中央の貴族や地方の豪族たちによって,阿弥陀仏をまつる寺院が盛んに造られました。日向廃寺もそのような気運の中,常陸大掾家によって建立された私寺と考えられています。礎石から高さ30cmの基壇上に東西3間,南北4間の中央堂があり,東西に複廊部と単廊部とからなる翼廊を持つ,宇治平等院鳳凰堂のような臨池式伽藍と想定されます。  

 

 

 

 

 

 


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