明治政府は,明治2年(1869)版籍奉還,明治4年に廃藩置県を断行し,中央集権的な地方行政制度を創出しました。明治4年11月段階で,全国には3府72県が誕生,従来の藩主(藩知事にかわって,中央から東京・大阪・京都の3府には知事が,県には県令が派遣されました。茨城県域にはこの時期茨城県・新治県・印旛県が誕生し,その後の統廃合によって,明治8年に現在の県域がほぼ確定することとなりました。